原爆被害のこと 一人の親として
伝えたくなったこと
仕事で、いつも新聞をチェックしているのだが、
被爆の記事に目が留まった、そして読んでみた。
この記事を皆に伝えたいと思った。
このブログに取り上げるのは「どうかなぁー」とも考えたが、
ぜひ知ってもらいたいので書き留めておこうと思った。
西日本新聞 最初の爆心地ルポ 祈りの肉質 2020年10月25日 朝刊3ページ
「長崎原爆翌日」東潤氏記録
「朝を迎えた私達の目に入るものは、まさしくこの世の生き地獄であった」。
詩人の東潤氏(1903~77)が75年前、日本軍の命令で原爆投下翌日の長崎に入り、
惨状を記したルポは「最初の原爆報道記録」と呼ばれる。
昨年1月、福岡市の遺族宅で直筆原稿が見つかり、
専門家は「原爆被害を知る上で一番の基礎資料」と高く評価する。
直筆原稿抜粋の一部
(道ノ尾駅到着時)
何かしら黒い生物が穴から浮いてきて、突然、私たちの足部に絡みつく。
おどろいて声を挙げれば「助けて呉れ」と呻く負傷者であった。(中略)
残念ながら如何ともすることが出来ず、(中略)
ひたすらすがる断末魔の強い手を、残酷ながらも解きほぐし、
解きほぐしていくより仕方がありえなかった。
(長崎駅付近など)
たまたま、三十がらみのバケツを下げた夫人が、爆心に程近い被害地に茫然として、無神経にたっていた。(中略)
とつぜん、バケツの中を指さした。おどろくべきことには、その中に首がある。
しかも五、六才になる女の子の首ではないか。
実際にこのようなことがあった
この記事、この記録を読んで
同年齢の子どもを持つ親として、こんなことがあったのだと知ってほしい。
たくさんの方に原爆の現実を知ってもらいたいと思い
今回は書きました。