子どもへのまなざしを読み返す2 条件付きでない親の愛を
子どもの言うことをどこまで聞くのか?
子育ての最初のころ、子どもの言うことを聞いたほうが良いのか
子どもの言うことを聞きすぎたら、聞き分けのないどこまでも甘える人間になるのか
自立心のない人間になってしまうのか
子どもの「しつけ」ってどうしたらよいのか
そんなことで悩んでいた時に、指標になった本
そのことを信じて、子どもの望むことはできるだけしてやろうと考え
実践していたのだが、
決心がぐらつく
最近息子のわがままが酷い。(ゲーム終了の時間を守らない、声をかけても無視する)
宿題も適当にやっつける。(計算ドリルの数字が読めないくらい殴り書き、漢字も最初はよいのだが、ページの終わりごろにはかなり雑になってしまう)
友達にたいしてもやさしくない。(友達と鬼ごっこしていて、その友達がコケて膝をすりむいても心配しないで、そのまま遊び続けようとする)
こんなことが増え、今までの気持ちが少しぐらついてきたので再読してみた。
条件付きでない親の愛を
私たちは子どもをしつけるとか教育するとか、いろんなことをするときにも、いまよりも、一歩前進ということを、絶えず子どもに期待するわけです。
けれども、その期待は子どもに対して、「こうなってくれなくては嫌だ」とか、あるいは、「早くそうなってくれなくてはだめだ」とかいうのとは違うのです。
子どもに一定の成長や発達を促しながら、けれどもその早さや限界は、子どもの歩みのままでいいというふうに、子どものありのままの状態を、親が本当に満足して、受け入れてあげられるかどうかが、大切なことなのです。
もうひとつ大切なことは、子どもの望むことを望んだとおりに、どれくらいしてあげられるかということです。子どもが飲んだら、その通りにしてあげればいいのです。
それは子どもを甘やかすことだし、その結果、過保護にしてしまう。子どもを堕落させてしまうと心配している人がいます。子どもの言うことを聞いてあげすぎたら、子どもは依頼心が強くなって、自立しないのではないかという誤解というのは、非常に根深いものがあります。
そんなことはぜっったいにないのです。おんぶとか抱っこというから、そのたびにしてあげたら、子どもが歩けない子になったなんてことは、決してありませんね。おんぶといったとき、おんぶしてもらえる。だっこといったとき、だっこしてもらえた子どものほうが安心して、自分を信じて自立していくのです。
では、そういう愛情が足りないと、なぜ自立しないのだろうか、こういうことを考えてみてください。子どもは自分で望んだことを、望んだとおりに十分してもらうことなしに、自発的に強い自立の意欲をわかせないのです。言われたことを不詳不詳、最低限度にやろうという感情にしかならないのですね。
この関係はやってみるとよくわかりますよ。
再度納得!!
読み返すと、やはりそうだよなぁという気になる。
自分のこととして考えてみると、
好きなことをしている時に追われて言われても簡単に終わるわけがない
親にムカついていたら、無視する。
小学2年くらいだったら、友達の心配より、遊び優先だよなぁー
と、思い出した!
自分同じことをやっていた・・・。
なぁーんだ、自分は息子に、期待しすぎていたのだと
そこに気づいた。
このままでいい、とにかく
子どもの望んだことを望んだとおりにやっていこう!!
再度そう決めました。
子育ってってこの繰り返しだよなぁ・・・。