グリーフケア番外編 事故
救急車
事故をして救急車に乗った時、身体が痛い中、
母は多分救急車に乗ったこともわからなかっただろう、そう思うと不憫でならない。
そんなことを思い出しながら病院へ向かった。
母が生きていたら
その時思ったのは、もし母が生きていてこの事故を知ったらどうしたろうかということ。
連絡を受けたら、何をさておき来てくれただろう。
そして、来た途端、「何してたのかい、大丈夫か?」と声を掛けてきただろう。
その後は、特に何をすることもできないので、おろおろとしながら、私のそばを離れなかっただろう。
そして、私がレントゲンなど検査をしている間は、「代わってやれれば」と泣いていたのではないだろうかと思う。そんな母だった。
後、毎日来てなんだかんだと、それこそ「りんご剥いたから、食べて」といった感じで世話を焼いていたと思う。
(今は、コロナで出来ないけど…。)
術後の苦しみの最中
術後の苦しい時に、母の顔が浮かんだ。来てくれたと思った。
心配で居た堪れなかったのだろう。ベッドのそばに置いてあるイスに座った。
母は、悲しい顔をしていた。いつも心配な時にする顔。声を掛けてくることはなかったが、しばらくの間そばにいてくれた。あまりにも心配
になって来てくれたんだろうと思う。心配性な母である。
でも、そのおかげで随分と助けられました。
母は、亡くなったが、私の中で生きているんだと実感できました。
ありがとう「かあちゃん」