母の死 グリーフケアのために書き綴る その4
身体が無くなってしまう時
人が亡くなった時の別れですが、通夜から葬儀まではまだ体が存在するので
実際に顔を見たり、冷たくなってはいるが触れることもできるので
亡くなったという気持ちも何とか紛らわせることができるのだが・・・。
そういった流れで思うと、一番つらいのは、火葬場だ。
火葬場は、あくまでも無機質で、一切の感情を受け付けない独特の雰囲気があり、入った瞬間心が痛む感じがする。
一番つらい瞬間
葬儀以上に、遺体を焼却炉へ入れる瞬間が一番つらい、
「悲しくて、悲しくて涙が止まらなかった・・・」
それまでは、確かに魂は抜けている。話もできない。目も合わないのであるが
そこには確かに身体がある。
しかし、それが焼けてしまうと、形として無くなってしまう。
そう思うと、どうしようもなく悲しい。
それに、母の身体が焼かれてしまう。熱いのは感じないだろうが、とても不憫だ。
焼かれた後、箸をもって遺骨を拾っていく作業。骨になり、骨壺に入ってしまう。
母が、この小さい壺の中に入ってしまうという現実。母がこの世にいた形として残った最後のものということになる。(それもまた、悲しい)
骨になってしまった・・・
子どもたちが、
「これ、おばあちゃん?」
「そうだよ」と答えながら涙が止まらない
「なんで骨になったの?」と娘が言うので
「パパのお母さんが死んで、今、身体を焼いて骨なったんだよ」と答えた。
骨になった母。一時間前にあった母がもうそこにはいない
骨からは、母の姿を想像できない。これが本当に悲しかった。
娘に「もう、おばあちゃんとは会えないんだね?」と言われた
その言葉が、自分の中で母との別れの言葉に聞こえた。
「そうだね、もうおばあちゃんとは会えないし、お話もできないんだよ」と答えた。
まだ、涙は止まることはなかった。
娘の言葉に癒される
このブログを書いた次の日、娘を保育園に送っているときに
空の雲の話になった。
「雲が動いている!」と娘
「そうだねー 動きが速いねー」と返したら
娘が、「おばあちゃん、お空からみているかなー」と言った。
「えっ」という感じだったので、聞き返すと
「おばあちゃん、お空から守ってくれているんだよね」と言う。
涙が出そうになった。でも娘の前だったので我慢した。
「そうだね、おばあちゃんはみんなのことを守ってくれているよ」
そんな話をしがら、保育園に送っていった。
なぜ急にそんなことを言ったのかは、分かりませんが
心が癒された。そして、少し楽になった。
娘に感謝した瞬間でした。