母の死 グリーフケアのために書き綴る その10 お彼岸
お墓参り
お彼岸で家族みんなで墓参りに行ってきた。
やはり墓に行くと母が亡くなてしまったことがしみじみと感じられる。
墓石に彫ってある八十一歳という文字に、「一般的には八十まで生きたのだからそんなに早く亡くなったわけではない」とも思う。
母がいない家にいると、自分も何となく違和感を覚えるのだが、子どもたちもそう感じているようだ。
おじいちゃんと食事をしていても、不思議といつもよりおとなしく食べている。
はしゃいだ感じがない。
やっぱり母がいない
娘が、「おばあちゃん、やっぱりいないね」といった
「そうだねぇ やっぱりいないね」と答える
「いないと淋しいね、リンゴも出ないし」
息子は、「おばあちゃんのコロッケ食べたい」と言う
「おばあちゃんのコロッケおいしかったからなぁ」
「うん!」
近くにいるような気がする
やはり、母がいないと淋しい。
近所を歩いていると、近くにいるような気がする。
いつも行ってた店に行くと、そこにいそうな気がする。
家でテレビを見ながら横になっていると、ひょっこり帰ってきそうな感じがする。
母の同級生と会って挨拶をすると、なぜ・・・と考えてしまう。
そうだ、子どもたちと遊ぼう!!
お彼岸、どうしようもない思いが駆け巡る一日だった。
こんな時は、子どもたちと思いっきり遊ぼう!
ということで、
近くのグランドに行って、娘と砂遊び、息子と野球とサッカーを思いっきりやった。
少し気が晴れた・・・。
今度は、鬼ごっこしようっと・・・。
子どもたちがいてくれて、本当に良かった。