子どもを叱る意味- 親の都合か? 子どものためか?
叱る自分を振り返ってみる・・・
最近よく思うのが、子どもを叱るときに。本当に子どもの為なのか
ひょっとすると、自分がこうなってほしい、こうあるべきだという子どもになってほしいだけなのではないか
自分にとって都合のいい子どもになって欲しいだけではないかと、考える事が増えた。
そこでまた、「自分でできる子に育つ ほめ方 しかり方」を読んでみた。
自立した大人になって欲しいけれど、いまは従順な子どもでいてほしい?
「よい子」とは、どんな子どもでしょうか。静かに大人の言う通りに動き、ルールにしたがう子でしょうか。
逆に「困った子」というのはどんな子でしょうか。大人のいう事を聞かず、自己主張する子でしょうか。
日本だけでなく海外でも、電車やバスで泣かない赤ん坊に、大人が「静かにしてえらいね。いい子だね」と話しかける場面をよく目にします。」
ですが、泣くのは子どもの仕事です。いろいろな感情を経験するのが、子どもの仕事です。
自分の興味を探求するのか、子どもの仕事です。
欲求を自身の言動でつたえるのも、子どもの仕事です。
実際には本来の成長段階にあった行動をとっているだけなのに、多くの人々が無意識に求めているのは、大人に「迷惑」をかけない子どもでいることなのです。
子どもの行動の良しあしは、大人の都合で決めるべきものなのでしょうか。子どもに将来、他人に言われるままに動くような人になってほしいと思っている親はいるでしょうか。
親がもつ子どものイメージは、その子が大人になったときの行動を左右します。
そうかぁ 親が持つ子どものイメージが大切なんだ
じゃ、自分は子どもが大人になった時にどんなイメージを持っているのか考えてみた。
人に迷惑をかけず、経済的にも精神的にも自立していてほしい。
こんな感じかなぁ
では、こうなってもらうにはどうしたらいいのだろうか・・・。
子育ての長期的なゴールを持つ
将来、自分の子どもにどういう人間になってほしいと思っていますか?
普段の自分の接し方がこの子育ての長期的なゴールの妨げになっていないかを一度考えてみる必要があります。
自分の力で考えられる人になってほしいと思っているのに、子どもが自分の意見を口にしたときに、「口答えをした!」と解釈し、頭ごなしに叱っていませんか。
自立した人になってほしいと思っているのに、つい子どもが一人で出来ることも全部やってあげてはいませんか。
困難に立ち向かえる忍耐力のある人になってほしいと思っているのに、失敗させまいと、過保護になってこどもにとっての障害を不必要に取り除いていませんか。
普段の自分の行動が、子育ての長期的なゴールに以下に貢献しているか、あるいは子供の成長の邪魔になっているのか、意識して考えてみましょう。
これからやってみること
よーし、わかった。
1.子どもがやっていることを、代わりにやってあげるのではなく、忍耐強く待つ。
2.アドバイスはするが、手は出さない。
3.自分が人に迷惑をかけないようにする。
4.お金の大切さを教える。
以上のことを意識して、子どもに接していく。
そして、何かあった問題や課題が発生した場合、一緒に解決していこうと思う。